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    生きるという名の
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      こんにちは。これを読んでくださっているみなさん、お元気でしょうか。
      ここ、更新頻度がものすごくのんびりになってきているね。
      いつの間にやら年も変わり、冬も深まり、暦の上では早くも立春。

      いろいろなものが、終わり、変わり、始まり、していく春がくる。
      日本中で、おそらくいちばんたくさんの涙が流れるころ。


      先日無事、卒業制作展を終えた。
      コンセプトを決定するまでに本当にたくさん悩んでしまい、それを形にする
      制作作業にあてる時間がいちじるしくすくなく、最後は大慌ての一月だった。

      「生きるという名のケーキ」


      いつも考えているのは、生きるということ。
      生きるということの、官能的な甘さのこと。
      やさしいこと、くるしいこと、さみしいこと、欲すること、傷めること、病むこと、死ぬこと、
      食べること、飲むこと、眠ること、起きること、愛すること、生まれること、忘れること、
      つくること、うしなうこと、壊すこと、守ること、甘えること、信じること、逃れること、歌うこと、
      描くこと、書くこと、はたらくこと、知ること、伝えること、つながること、触れること、離れること、
      ぜんぶ、ぜんぶ。
      ぜんぶ、いとしい。あまくて、いとしい。

      だからケーキにして、見てもらった。それだけじゃ足りないから、言葉も、添えて。

      いろんな人が作品の前で、足をとめてくれた。
      わたしを知るひとも、知らないひとも、その貴重な一生の時間の一部を、
      わたしが作ったものを見るために、くれていた。
      それを見て、地平線が見えるような広い場所に立っているような心地になった。
      うれしいとかなしいはとありがとうはひとつの感情になった。



      いつも大切にしていることを、好きな形で表現できて、ほんとうによかった。
      デザイン科だけど、商業的なデザインではなかったし、どっちかというと
      自己表現のアートにいってしまった気もする。
      でも、「元気をもらえました、ありがとう」と言ってくださる方がいた。

      それで、この作品をやってよかったなとも思ったけれど、もっととんで、
      生まれてきてよかったな、と心から思った。ありがとうは、わたしの科白だったのに。




      作品を作っている時間も、大変だ大変だとはいいつつ、ほんとうに幸せだった。
      四年間ともにいたみんな、みんな、がんばっている姿が見れて、
      一緒に食堂にいったり、お菓子をたべたり、ふざけたりできて、助けてくれて、
      みんなの声がして、同じゴールにむかってそれぞれが何かを創作しているなんて、
      なんてきらきらなんだろう。みんなのいる空気にはきれいな色が見えた。
      ずっと卒展が終わらなかったらいいのにな、と何度も思った。

      ここ最近はずっとずっと胸がいっぱい。
      みぞおちのあたりに通された紐が、きゅっ!としぼられている。
      時間に味があるのなら、甘くて、とろける。少し酸っぱい。

      ずっとここにいたいけど、かなわないからこんなにもあまくて、きれい。



      卒業まであとすこし。もうすこし。お別れのことばは、まだ、はやい。

      | nikki | 13:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
      あいのしょうたい
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        わたしは卒業制作の一部で、「愛」を表現したいと思っているのだけど、
        おわかりのとおり、可視化がとても難しい。
        人によって解釈が異なり、価値も違い、その形式も、深さも、まちまちすぎる。
        それを人に見てもらう作品のテーマにするのは、ほんとうに難しいことだ。
        いや、案外それはシンプル極まりないものなのかもしれない。
        しかし単純だろうが難解だろうが、愛の可視化は、今のわたしにとってそう容易い作業ではない。



        悶々とするわたしに、先生は、「木村の一番好きなものはなんや」と言った。
        一番はきめられない、と言うと、
        「自分の命に替えても存在してほしいくらいのなにか」と訊かれた。


        「土」


        何秒か悩んで、わたしの口から自然に出てきた答えはそれだった。
        自分でも、びっくりしていた。けれど、すごく自然に答えていた。

        「土と、そこに棲んでいるミミズとかダンゴムシとかカエルとか、
         そこに根をはってのびている木や花とか、露だとか、
         もしわたしの命と引きかえにそれが続いていくのなら、
         ぜんぜん、命なんかくれてやってもいい」

        とも言った。わたしが。おどろくべきことに。
        でも先生の問い、とても上手な問いだったと思う。
        先生は「神様みたいなこといいよるなあ」と笑ったけれど、
        これ以上わたしがわたしを納得させられる答えはきっとほかになかった。


        黒く、湿り気を帯びている。
        命をはぐくみ、命を吸い、命を生み、根を支え、餌を与える。
        わたしの想起する、愛のすがた。



        でもこの結論を、制作に直接応用できるかと言われると、
        ちょっと困るのだけど(!)、なんだか新鮮だった。


        あなたの愛は、どんな姿をしているのでしょう。
        | nikki | 23:18 | comments(4) | trackbacks(0) |
        ずっと限界と100年
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          お久しぶりです。
          久しぶりすぎて何を書こうか、少々、戸惑っております。
          正直、Twitterに、けっこうはまってしまい、こっちを忘れておりました。
          不覚、不覚。いざというときは、アナログなほうが生き残るんだぞ。



          「ずっと」、という言葉がある。
          時間的に継続してやまない、という意味の「ずっと」。
          でも、大方この世のものには限りがあるので、
          「〜まで(ずっと)」という念押しのおまけがついたりする。

          「ずっと」が長いほど嬉しい、という前向きな例でいうと、
          ずっと使い続けたい服や、ずっと持っていたい本に、ずっと傍にいたい人。

          服だったら、似合わなくなるまでずっと。本だったら、飽きるまでずっと。
          人だったら、死ぬか別れるまでずっと。

          こういう言い方はどれも具体性を伴っていない気がして、なんだかぼんやりしている。
          かといって、契約社員のように「あと何年」なんて今決めておく必要もないし、不確実。
          だからいつかくる終わりのことも、捉えられないふわふわのままで、ただ、
          いつかくる「死」と、それまでの「ずっと」は、わたしのなかでは遠く離れたべつのもの。




          ある日恋人はこう言った。
          「あと長くても100年はないよ」
          「この1年がもう100回もないよ」

          その言葉と同時に「ずっと」は瞬く間に輪郭をもち、手に取れる実体として現れた。
          前から透明巨人としてそこにいたんだけど、初めて目に見えるようになりましたってふうに。

          100年という単位は、絶妙だった。
          推し量れないほど永い年月でもないけれど、わたしたちの多くの寿命はそれに満たないだろう。
          ましてわたしは、20歳を超えている。
          現在の医療技術では、あとこの身が100年もつ可能性は、皆無に等しい。

          (いま、事故や不測の重病を考慮していないが、そういうことの可能性は頭では
          わかっても、実質的な感覚をもって理解するのは日常ではむずかしいものだ)



          100年、ないのか。そうか。

          それはわたしにとってあまりにも具体性のある「ずっと」の限界の表現だった。
          そしてなにもかもが、いとおしさのかたまりになった。


          今日もわたしは、ない100年を、齧ってる。きっとあなたも。
          | nikki | 16:32 | comments(4) | trackbacks(0) |
          白い牙とやさしい藍
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            こんにちは。なんだか久しぶりな気がするなあ。
            ここ二か月のあいだで、いろんなこともありました。

            まず今月あたま、春からの就職先が決まりました。
            憧れていた、デザイナーと呼ばれる職業に、就くことになりました。
            わたしは、大学は確かに芸術と名のつくところに籍を置いておりますが、
            デッサンを死ぬほどしたこともないのでデッサン力はゼロに等しいですし、
            特別絵を描くのが上手というわけでもありません。
            でもやっぱり、かわいいとかきれいとか、どうしてか心に響く視覚的なものが好きで、
            好きでそういうことに携われるならいいなあ、と、ぼんやりとだけは思っていた。

            わたしよりずっとデザイナーに相応しいひとは、この世に溢れるほどいるだろう。
            とは、ずっと前から気付いていたことで、本当のことでもあります。
            でも、そんなわたしがその機会を手に入れたこともやっぱり、本当のようなのです。

            だから、まっさらなきもちで食らいついていく。

            このひとつの地点にやってくるまで、喚いて泣いたり、電話ごしに泣いたり、
            恋人の胸で泣いたり、電車で泣いたり、道を歩きながら泣いたり、
            車を運転しながら泣いたり、とかくよくよく泣いたもの。
            それでも干からびなかったことはわたしの力ではなくて、みんな、
            人も動物も花も映画も本も朝も夜も、みんなありがとうと思う。ありがとう。

            こんなことをいうのは、ホントは気恥しいから、好きじゃないけれど。

            ありがとう。


            夏がやってきて、わたしの緑色の部分はつやつやとのびのびと上へ。
            | nikki | 19:34 | comments(3) | trackbacks(0) |
            Hydrangea
            0

              もうじき、このあたりも梅雨入りする。

              紫陽花、その英名が好きだ。
              勢いがあってリズムもいいし、ア、で終わるところは色っぽい。
              そして、強い毒をもち、浮気や移り気といった、非情ともいえる花言葉さえ与えられている。


              今朝、夢を見た。恋人が三人いる夢だ。
              その辻褄を合わせようと、嘘が嘘を増幅させ、私からは多くの人が去っていく。
              みながみな、私にだけよそよそしい世界ができあがっていく。
              携帯電話の音で目が覚めた。
              夢の世には出てこなかった、こっち側の恋人だった。ちょっと泣けた。


              で、そんな朝の朝ごはん。
              ヨーグルトをでっかいカフェオレボウルの半分ほども入れ、よく混ぜて滑らかにする。
              付属品のお砂糖を、けっこうたくさん入れたりもする。
              バナナ、林檎、葡萄、キウイ、苺など、家にある好きな果物を切って、
              ヨーグルトの上に円を描くように盛る。
              真ん中に、グラノーラをざばあとのせる。
              仕上げは、蜂蜜を好き放題に。
              ちなみに、使うヨーグルトは「恵」がやさしくて好き。今日は「ブルガリア」だったけれど。


              食べたり飲んだり眠ったり、笑ったり泣いたり、勉強したり怠けたり、
              好きになったり嫌いになったり、傷ついたり傷つけたり、打ち明けたり隠したり、
              嘘をついたりつかれたり、親切にしたりされたり、愛があったりなかったり、
              暮らすことは、目まぐるしい。
              それでも。


              今年は庭に咲く紫陽花を使って、ドライフラワーを作りたいと思っている。

              | nikki | 09:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
              Holiday
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                いつのまにやら22年目の日々に突入しました。
                お祝いの気持ちを、みんな、ありがとう。
                ここにいていいんだな、と毎年実感する日です。
                そして生を、理屈抜きでありがたく思う日でもあります。

                生まれてから8000日以上も、お日さんが昇って沈んでを過ごしました。
                なかなか、たくさんだけど、そんなにたくさんは生きた実感はないなあ。

                もっと生きるぞ。


                近頃は、就職に対する戦闘態勢がちょっとゆるまって、まあ、先月は休戦です。
                そろそろ、もう一度動き出そうとは思いますが、闘うのはもういやです。痛いのはなあ。
                よく考えて、よく寝よく食べよく働き、自分の正しいと思うほうに歩を進めていけば、
                そう、大きくまちがえることはないんじゃないかな、という気がしています。

                もちろんそれが悪徳であったり、直接迷惑につながるようなことはだめだけれど、
                そうならない範囲で、むしろ人を喜ばせることができたらもうけもの、の範囲で、
                自分の好きにしたいようにしたいなあ、と思います。

                それはむしろ、甘くなく、厳しいことだとも、気付いています。

                でも、挫けても転んでも、わたしはその光のほうにしか走れない気もするのです。




                昨日は海に。
                聴き、見、触り、嗅ぎ、舐め、吸い込み、感じました。
                陳腐な話だけど、ちいさいことはどうでもよくなって、
                細胞がぜんぶポップコーンみたいにぐるりんとひっくりかえって、
                まるでわたしのすべてが別のに変わってしまうような爽快。

                麻の服はばたばたと潮風に騒ぎ、燕が頭上を旋回し、足下で貝殻は割れて、
                潮騒に声をかき消され、傷に沁み、そうして海を体中にしみこませて帰ってきたから、
                またしばらく長く、ひどく生きものらしくいられるのでしょう。
                | nikki | 11:14 | comments(2) | trackbacks(0) |
                はだかのこころ
                0

                  いよいよ、本格的に春らしい気候になってきました。
                  木蓮は豪勢に咲き乱れ、桜は景色をいろどり、
                  小さな花々道行く人の足元を華やかに飾ります。
                  そしてわたしは、遂に大学4回生です。
                  こんなふうに見る嵐山の景色も、もしかすると最後です。


                  わたしはかれこれ10日ほど風邪をひいていて、花粉症疑惑もありましたが、
                  今日なんともなかったので、やっぱりただのちっちゃい風邪だったようです。


                  ここ最近は、なにかと圧迫されてしまい、わたしの太いはずの我慢の糸が
                  ぷつん、と音を立てて切れる日がありました。
                  そのとき、いつもはとりたてて意識しないいろんなことを思いました。

                  あんまり今は詳しくは書かないけれど、ただ、わたしはおおらかに生きたい
                  とある程度前から思い続けてきたし、これからも何があっても、
                  わたし自身は、おおらかなこころでいたいと思います。

                  わたしのぜんぶが春の陽気のようになればいい。

                  まだ、全然至らないけれど、それが理想です。
                  高村光太郎が「最低で最高の道」で語ったようにしたい。
                  見栄もかけ値もなく、ああ、おおきく生きたい。


                  心を支えてくれる人の力をほんとうに身にしみて実感します。
                  感謝、愛、そして祈りをこめて。

                  | nikki | 19:09 | comments(4) | trackbacks(0) |
                  Hope
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                    あんまり、ぐちゃぐちゃと長いことを書くのは、よそう。

                    どんな状況であろうと、無事な場所で何の被害も受けていないわたしには、
                    回さねばならない日常の歯車があり、それは、失われていない。

                    一週間経って、考えて、出した答えは、そういうこと。

                    日常を、回す。

                    なるべく、元気に。なるべく、楽しく。なるべく、いつも以上に効率よく。

                    そうやって、この国の日常を、個人が必要以上にすり減らさないようにする。

                    だから、食べ、眠り、働き、学び、笑う。

                    そして、いとしい人を、いとしい、と思う。いとしい、と言う。

                    そういうことを、せいいっぱい。
                    みんな、できることをせいいっぱいやっている。



                    ジョージ・フレデリック・ワッツの「希望」という絵画が、ある。

                    傷だらけの少女が、ハープをかかえている。弦は、一本を残してすべて切れている。
                    その、唯一残っている弦こそが、希望なのだ。
                    美術館の解説には、そう書いてあった。
                    そのときから、希望という言葉を使うことに、慎重になった。
                    そして、希望という言葉を、使うことのないことを心から願った。

                    けれど、今は、間違いなくこの言葉が使われるときだろう。

                    わたしはここで、せいいっぱいに、希望を、紡ぐ。
                    | nikki | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    珈琲賛歌
                    0



                      春を感じた矢先に冷たい雨が降った三月最初の日、わたしは京都に出ていた。
                      リボンパンプスの先を濡らしてたどりついたのは、イノダコーヒ本店。
                      一応書いておくと、コーヒー、ではない。コーヒ、が正しい。
                      高田渡の「コーヒーブルース」って曲をご存知だろうか。
                      わたしはおおはた雄一のカヴァーを好んで聴いていて知った。その曲はこう始まる。

                      三条へ行かなくちゃ 三条堺町の イノダっていう コーヒー屋へね…



                      創業当時からあるという「アラビアの真珠」なる珈琲を飲んだ。
                      酸味が独特の不思議な味がした。異国情緒の味といえば格好がよいだろうか。

                      左隣の席には久しぶりの再会を果たしたらしいマダムがふたり向かい合っていた。
                      「ねえ、お昼はここで食べてしまいましょうか」
                      「ええ、ええ、でもわたし、朝ね、ここに来る前、みかさを食べてしまったのよ」
                      「わかるわ。わかっていても、どうしても食べたくなっちゃうのよね、みかさだものね」
                      女の子はいくつになってもこうらしい。

                      用事を済ませた夕方、せっかくなので二軒目のカフェへ。
                      イノダコーヒから徒歩2分とかからぬそばの、ビルの3階にそれはある。
                      TRACTION book cafe 、それがお店の名前。
                      押して開けたドアの正面に、大きな本棚。デザイン系の本と猫に関する本が多い。
                      私はピタゴラ装置で有名な佐藤雅彦の小説を手に席についた。



                      ヘーゼルナッツラテを頼んだら、こんなになめらかな泡がこんなにこんもりとのってきた。
                      ちょんと揺らすと泡は左右にぶれてこぼれてしまいそう。
                      本はちっとも読み進められなかった。もう家に帰らないといけなかった。
                      食事も充実しているようだったし、次にいくときはのんびり晩御飯でもいただいてみたい。

                      それにしても、わたしがコーヒーを飲めるようになったなんて不思議なものだ。
                      まあまだ、ミルクとお砂糖でしっかり甘くしなくちゃ一杯のみきれはしないのだけど。

                      | nikki | 21:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
                      バラより美しい人生
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                        ばら

                        小沢健二の、「それはちょっと」という歌の一節に、それはある。
                        べつに深い意味ではとらえない。ちょっとだけ、うっとりと恍惚とするだけ。
                        98円の一輪のばらは、食べちゃいたいような柔らかさで、
                        かよわくも毒々しさのある芳りを放っている。

                        昨日気がついたことなのだけれど、愛読書である江國香織「流しのしたの骨」が、ない。
                        誰かに貸したろうかと思うが、一切の記憶がない。
                        読みたかったこと子ちゃんの科白があったのに、悔しくてしかたがない。
                        明日は休みだし、今夜はもう少し部屋を探そうかな。

                        このばらはこと子ちゃんのイメージによく似てる。

                        | nikki | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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